センチュリー・プラントにようこそ

言葉と物語、創作小説

愛という幻想

愛し合う男女といえば、あらぬ幻(イマージュ)を求め合っては空しくすれ違いを繰り返すものの典型ではなかったか。

浅田彰『構造と力』勁草書房

 このブログと同名の拙作「センチュリー・プラントにようこそ」の主人公の賢治は、愛しかたも愛されかたも知らない少年だ。父親の顔も名前も知らず、家庭を支えることを放棄した母親の代わりに夜の街で女たちのあいだを漂い金を稼ぐ彼は、誰にでもやさしくするという不誠実な態度をたくみな話術でごまかして誰にも嫌われないように生きている。

 そんな彼にも好きな女の子というのはいて、童貞などドブに投げ捨てた賢治がその子とキスをするだけで顔を赤らめ、いざ彼女を抱く段になると緊張して何をどうしたらいいかわからなくなる。彼女の前では賢治はただの恋する少年だ。愛したいとか愛されたいとかまだそんなことを思いもせず、ただ黙って彼女の手をにぎる。

「センチュリー・プラントにようこそ」は青春冒険活劇だと思っているが、同時に恋愛小説だとも思う。愛が幻想だとしても、それを信じてみたいのだ。