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言葉と物語、創作小説

書いている者としての嫉妬

 創作小説、と説明文に書いてわざわざ「創作」とつける必要があるのか、と思った。ただ私は同人活動という範囲の中で書いているが、同人の世界では小説と言えば「二次創作」の小説が多数を占めている。「文字書き」といえば、「二次創作」の文章を書いていると見なされるのが同人の世界での通例だろう。

 一度だけ「二次創作」の小説らしきものを書いて本にしたがそれ以外「二次創作」をしようと思ったことはないし、たぶんできない。だから「二次創作」ができる人がうらやましいと思うこともある。そういう形で原作とその原作に対する自分の愛と向き合えることはすばらしいと思うしできるならやってみたいと思うことがなくもない。でもたぶんできないのでしようとは思わない。

 ものを書く者としてシンプルに「二次創作」っていいなあ、と思ったのは、登場人物についての説明がいらない点だ。外見も性格もプロフィールもそのキャラの名前を出した時点で読み手と共有される(いわゆる現パロでは外見が原作と異なることも多いので外見に関する描写は必要になるかもしれない)。「創作」だと登場人物を出しても「こいつ誰」から始まるわけであって、特に主人公に関してはどこか魅力的だったり気になったり引っかかる点がなければ、往々にして出てきた直後にもうそれ以上読んでもらえないということになったりする。そもそも主人公の名前からしてどうするか云々頭を抱えるわけであって。

 どちらが良いとか悪いとか優れているとか劣っているという問題ではない。本当は上がっている土俵が違うのだから、うらやましいと思うほうがまちがっているのだった。それでも私は嫉妬しながらうんうんうなって書き続けるのだと思う。