センチュリー・プラントにようこそ

言葉と物語、創作小説

眠れぬ夜に

 厨二病を気取っているわけでもなんでもなく眠れないだけである。今日は仕事なので5時に起きなければいけないのだが、眠れぬまま午前1時17分だ。2時間以上布団でゴロゴロしてもうアカンと起きてきた。犬はともかく猫も家猫なのでこの時間帯は寝ている(猫は3匹いるのでたまに大運動会がくり広げられていることもある)。

家庭内暴力みたいのをやるやつっていうのは、もう一つの条件があって、大体十五、六、つまり性が非常に過大になってきた時期に、近親の異性や他人の女の子との接触に失敗してると思うんです。結局、なにが残るのかっていったら、父権か母権かっていうことじゃなくて、男か女か、あるいはもっと言えば両親の間の性的な崩壊がその次の原因のような気がするんです。

村上龍坂本龍一『EV.Cafe』 吉本隆明の発言 講談社文庫)

 私は女兄弟なので、家庭内暴力をやるような男兄弟はいなかった。でも家庭内暴力が男に特徴的に現れるのはなぜだろう。ひとつには、女にはそこに及ぶまでの力がないからだと思う。女が暴れたところで、男の力の比にはならない。日本の社会の構造の問題なのかもしれないが、15、6才になれば女は自分が物理的に暴力で暴れてもどうにもならないということをわかっているような気がする。

 卑近な例だが、私が開けられないジャムやピクルスのビンを私より痩躯(実際体重は私より軽い)の夫が軽々と開けるとき、私が届かない棚の物を夫(私より15センチ以上背が高い)がとるとき、男と女の力の違いと大きさの違いを感じる。男性ホルモンであるアンドロゲンに蛋白同化作用があるので男性は女性より筋肉質であるとされるが、もし女性が男性の筋肉質な体に魅力を感じるとしたら、それはアンドロゲンのためだと言えるのかもしれない。

「近親の異性や他人の女の子との接触」とだけ上記には書いてあるが(その後もそれ以上言及されることはない)、思春期の異性との接触は恋というものを抜きにしては語れないと思う。異性との接触を単に成熟の契機としてとらえる考えかたもあるだろうが、「恋」というものを意識しておきたいと思うのは少女趣味だろうか。

 そんなことを犬の寝息を聞いて猫の寝顔を見ながら考えていた。