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言葉と物語、創作小説

読む体力

あらゆるけがれを一身に背負った犠牲が、死せる王として中心0の座につくのである。

浅田彰『構造と力』勁草書房

 かっこいい文章だ。かっこいいけれど、何が書いてあるかぜんぜん意味がわからない。この本はとてもおもしろくてかっこよかったけれど、何が書いてあるかはほとんど理解できなかった。でもおもしろかった。

 一時期マンガしか読まない期間が続いたのだけれど、最近また活字を読むようになった。最初は読みやすいエッセイを読んでいて、そのあとは小説以外はいろいろ読んでいる。小説を読んでいないのは一気読みしたいからで(一輝読みと変換された、聖闘士星矢じゃないのだよ)、今はすき間時間で読んでいて、なかなかまとまった時間が取れなくて読んでいない。

 活字を読むのが習慣になって次第に上記のような何が書いてあるかよくわからない本も読むようになってきた。「構造と力」はわりと一気に読んだのだけれど、読み進むのに四苦八苦して少しずつ読む本も多い(最近ではフロイトの「精神分析入門」や柄谷行人の「探求」あたりが特にしんどかった)。昔ならもうちょっとすらすら読めたんだけれどなあと老いを感じる。

 でもこの「読みづらいものを読む」ことに必要な体力はけっこう重要で、とっつきにくいものから新しい世界を知ることができたりする。そこでわからないながら強引に読む体力が必要になる。「こりゃ読めない、ダメだ」と思ってしまったらわかるものもわからなくなるわけで、わからないなりに読んでいけば少しはわかったりする。

 強引に読む体力が少しずつだけれど戻ってきたので、わからないものも読み続けるようにしたい。そろそろ小説も読みたいなあ。