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言葉と物語、創作小説

書きたくないこと

「私は」で始まるような文章を書きたくないと思うようになった。「私が」「私の」でも同じことである。自分の思いや考えを書くにしても、「私は」「私が」と書き始めなければ意味の通らない文章を書きたくなくなった。見苦しいからだ。おまえの思いも考えも他人には意味がないと思うようになった。

「私は」「私が」と始まる文章で自分のことを書いても普遍性を持たすことのできる人はいる。そういう人は書けばいいと思うし、書くべき人というのもいると思う。

 今は書きたくないだけで、いずれ書きたくなるのかもしれないし、書いても意味のあるものにできるようになるのかもしれない。だが、今は書きたくない。