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言葉と物語、創作小説

誰も読んでくれなかったら

誰も読んでくれなかったら小説ではない。
奥泉光『文芸漫談』集英社

 一人でPCでワード(もしくは類似のソフト)で小説をコツコツ書いていて誰の目にも触れなかったら、小説ではないのだろうか? そういった根本的な問題はおいておく。

 商業と同人では話が違いすぎるので、同人の場合で考えてみようと思う(商業誌は新人賞に応募する、という形でひとまず必ず下読みの誰かに読んでもらうことができる)。二次創作はジャンルやカップリングだけで読んでもらえる可能性があるので、創作の小説に限ることにする。最初のステップとしては、同人誌を作って即売会に出る、ピクシブや「なろう」などにアップする、というところではないか。公開するということで、これをしないと誰かに見られる可能性はほとんどない。

 だが、ただ即売会に出たり原稿をアップするだけでは誰かの目にとまる可能性は低い。だが、タイトルが魅力的なら誰かが見てくれるかもしれない。まずはタイトルを工夫することが必要なのかもしれない。

 同人誌の場合、デザインを凝ったり、表紙にイラストを入れるなどの工夫ができるだろう。ただし文字書きはデザインが苦手だったりイラストが描けなかったりするので、他の誰かの協力が必要になることも多いだろう。

 ここからあとは「宣伝」の問題になってくると思うが、ここが一番難しいのかもしれない。昔はペーパーを作って他のサークルのスペースに配布したり、他のサークルの通販に同封してもらったりという方法があったが、ペーパーという文化がなくなってこのやりかたはほぼ消えた。今でいえば、たとえばツイッターで「バズる」ことなどが宣伝になるのだろうが、バズる確実な方法はない。自分が万単位のフォロワーがいればつぶやくだけで宣伝になるだろうが、小説を見てもらうことと万単位のフォロワーを獲得することのどちらが難しいか、わからない。

 万単位のフォロワーがいるアカウントが作品のことを話題にしてくれれば宣伝になるだろう。だが、どうやったらそんなことになるのか、確実な方法はない。そもそも作品がそのアカウントに届かなければならない。

 少なくとも同人の世界では、小説でいちばん難しいのは書くことではなく、「どうやって読んでもらうか」なのかもしれない。