センチュリー・プラントにようこそ

言葉と物語、創作小説

わくわくしたくない

自分で音をつくるときに、自分でも一生懸命に考えて納得できる理由がないので、何故か分からないんですが、例えばこの音はこうしたいっていうのがありますね。コンピュータを使うと、必然的に、それを一回数字に置き換えることになるわけで、それが安心できることなのです。自分の情念とか趣味嗜好を数字に置き換えることが客観的かどうかは別のことですが、生のままじゃなくて、違う形に置換して認識し直すということは、安心できる材料なんです。

坂本龍一『EV. Cafe』講談社文庫)

 過去にもブログを書いていたことがあった。このブログを始めるときに探してみたらまだあったのだけれど、「私はこういうことが言いたいんです!!」と全力で主張しているようなブログで読んでいて恥ずかしくなって全部消した。過去の自分に対してお前の考えていることなんて他人は知るかよ、と思った。

 読んで欲しくなければブログなど書かないわけだが、誰かに伝えたいという思いでわくわくしながら、勢いだけで自分の言いたいことを書きなぐることはもうしたくないと思う。自分の感情が出ないものを書きたい。だが、方法がよくわからない。

 坂本龍一が上記の文章で何が言いたいのかわかったわけではないが、「違う形に置換して認識し直す」というのは、有効なのかもしれない。音というものを数字に置き換えるように、文章というのも何かに置き換えられるのかもしれないし、してみたいと思うがどうするのか漠然としすぎて白い霧の中にいるようだ。

「書くよろこび」とはなんだろう。どんな文章でもわくわくしながら書いていて、それが楽しかった時期がある。それが「書くよろこび」なのかもしれないが、そうやって書いたものはおそまつだった。今のところ、霧の中で手探りをするしかないのだろう。