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言葉と物語、創作小説

北杜夫という人

「どうだい、あれの印象は?」Hは夜空に異形な姿をさらしている大ゴシック建築のほうをすかしながら訊いた。
「凄いな、たしかに」と私は呟いた。「しかし、ああ徹底的に凄くっちゃむしろ反感を覚えるよ」
「僕もそうだ」と、Hは夜の街角に立っている娼婦らしい女の影を目で追いながら言った。
「僕たちはあれのことを、オバケ、って呼んでいるんだよ」
北杜夫『どくとるマンボウ航海記』新潮文庫

 ミラノ大聖堂についての会話。Hとは現地に住む日本人の友人の名前。1965年の本なので、娼婦についての描写が随所に出てくる。特に港はこの時代では売春婦がつきものだったらしい。

 おもむきがある文章で好きだ。ミラノ大聖堂を「すかして」見ていたり、「娼婦らしい女の影を目で追いながら」話すHの描写がいい。北杜夫も「言う」や「話す」ではなく、「呟い」ている。おそらくひそやかに2人は話しているのではないだろうか。その空気が伝わるような気がする。

 北杜夫の父親は俳人(であり精神科医でもあった)斎藤茂吉だ。兄は精神科医でエッセイストの斎藤茂太。文芸一家で才能は父親譲りなのだろうかとも思うが、作家になるまではそれなりに苦労したらしい。その才能のひとかけらでもいいので欲しいと思ったりする。

 斎藤茂吉がかつて院長を務めた病院で働いたことがあるが、建物はしゃれていたが病院自体は普通の精神科単科病院だった。当時理事長だった斎藤茂太を一度だけ見たことがある。北杜夫躁状態だったとき(彼は躁うつ病患者でもあった)に電話をかけてきたりしていた、と聞いただけだった。